外○医神経症闘症記(手の震え、あがり症、書痙) 克服の体験記 手の震え、あがり症

外○医神経症闘症記(手の震え、あがり症、書痙) 克服の体験記

外○医の私が手の震え・書痙・自律神経失調症・あがり症・強迫観念と心身症・不安神経症、不眠症に陥ったときの記録と神経症から脱出するためのヒント

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手の震えとは無縁の生活

久々にブログを更新しようと思いました。2009年の夏も終わりました。
私の職業が最近「過酷な勤務」と「なり手の不在」が言われています。
逆風に負けないぞ!




さて、話題を変えます。ブログやサイトを所有してから、多くの手の震え書痙の人の意見を聞く機会が増えました。反響の大きさも最初は驚きました。

手の震えに悩む人は、そのまま緊張しやすい人の多さと直結している。

緊張は誰でもあるが、緊張のしすぎで手が震えてしまう人も当たり前のようにいます。

それを必死で隠してばれないようにして生きている、その心労お察しします。

ネットが普及してきて一番の利点は、みな必死でばれないように頑張ってきたことを、匿名という形で人の悩みを知ることができたと言うことでしょう。

手の震え書痙で苦しむ人のなんと多いことか!

私はもう手の震えがなくなりました。

変に力が入っていた状態から解放されています。

手術も当たり前のように行っています。気持ちも楽です。

過去を思い出すと、異様に手や体全体に力が入りすぎていたこと、焦りや不安に毎日
苦しめられていて、息も抜けなかったこと、思い出します。

現在進行中でそうなっている人も多いと思う。

私はそんな人に「気楽に行こうよ」なんて口が裂けても言えない。

自力でそう思えるなら、手の震え書痙や緊張で苦しむ人なんか存在しない。

でも手の震えはいつかおさまるものなんだということだけは強く言いたい。

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テーマ:日常 - ジャンル:心と身体

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神経症、手の震え、あがり症が良くなるためのヒント 経験より

良くなるためのヒント 経験談より

「手が震えたらどうしよう」は結果的に「手が震えてしまう」
「手が震えないように努力しよう」はますます「手が震えてしまう」
「手よ、震えるな、震えないでくれ!」は結局「手が震えてしまう」
「よし、手が震えていないぞ、このままいけ」はまたまた「手が震えてしまう」

だけれども、心の悩みは天の邪鬼すぎる
「手が震えてもいいじゃないか」は「手に震えようがなくなる」のである。
これが「悩みを受け入れる」ということ
悩みと闘うより、受け入れた方がよっぽど神経症とかあがり症が治る近道だった

「手が震える」ということは、私にとってリスクだ。
リスクをどうしても回避しようと焦って、強く「震えるな! あがるな!」と念じたりする。
そうすると、「手が震える、震えていない」という闘いに入る。
闘いという生やさしいものじゃない。
一方的ななぶり殺しになってしまう。
その闘いに入っていると言うことは、常に手に意識が向いているのだ。
自分の緊張や焦り、あがりにばかり神経が集中している。
無意識では手に意識が向いていると言うことは、「震えろ」「震えろ」とマイナス暗示が強くかかっているのだ。
これでは虐殺に等しい。
だから苦しんでしまう。
いつまでたっても治ることなんかないかもしれない。

それぞれの症状にこれをあてはめてください。
手の震えあがり症書痙に限らず、あらゆる心の症状に当てはまることだと思う。
不眠症もそうだ。「気になる」ということもそうだ。
これこそが、単純に見えて、矛盾のようで、奥の深い一番の真実なのだ。

神経症の心の働きほど矛盾しているものはない。そして単純なものはない。
でも奥がとても深い。
しかも複雑にこんがらがっているように思えてしまう。
だから難しいものなのだ。
だが、実はこんな単純なものだ。
問題はこれができるか、ということ。
難しいし、甘くない、と言っておきたい。
でも、やれるものだ。
複雑化、難治化させているのは自分の間違った思いこみが大きい。
目を覚まさせてくれる人がいないといけない。
私は幸運にもすてきな人と出会えた。

闘わなければならない。
でも、努力の掛け違い、つまり闘う場を間違えると大変なことになる。
観念や知恵の世界でみんな努力してしまう。
その結果、泥沼に入り込んでしまっている。
開き直れるということは、もっと人間の根幹、哲学、ハートの部分から起こらなければならない。

そのためには無意識部分からの処理、間違った認識を正す、自分の過去を見つめる、変わってやろうという意志が合わさって、はじめて可能になれた。
どれか一つかけていても悩みって良くなるには大変だと思う。
一人の力だとどうしても袋小路にはまってしまうと思う
結局、やらなければ、やれなければ、ずっと苦しむことになる。
だからやらなければ、何もはじまらない。
決意と覚悟が結局必要になる。
怯え続けていては一生治ることはない。
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外科医神経症闘症記録 克服への体験記 その4

手術に関する限り、手の震えと集中力散漫が一番の悩みだった。
が、日常生活でも、交感神経と副交感神経の自律神経のバランスが一挙に崩れて心身症になり、物理的に胃が悪くなったり、動悸や息切れと言った不安神経症の症状にも襲われるようになった。
所詮、手の震えというのは、私の心のトラブルの一形態に過ぎなかった。もっと本質的な心の悩みの元が、しっかりと私の潜在意識に根付いてしまっていた。
問題は手の震えではないということだ。
表面的にしか見ないと、道を誤る。
当時そんなことはまったく気づかず、目の前の症状をいかに抑えるかだけだった。
その狭い視野が悩みの解決をいかに遅らせてしまったか、よくなっていく段階で気づき、後悔もした。
いつも手が震えたらどうしよう、手が震えたかな、悟られているかな? そればかり考えていた。
そこに費やすエネルギーはとんでもない量だったとおもう。
努力の掛け違いをすると人間は悲惨だ。
精神科医・精神分析医・心療内科医・心理療法士・カウンセラーすべてに(例外は一人だけだった)その「秘密」があるゆえ、心を開くことが出来なかった。
言ったら最後、蔑まれるという恐れが支配していた。だからいつも心苦しさがあり、何のために通っていたのかわからなくなったから、ころころと病院や心理療法を変えることになった。
お金の問題じゃないから、貯金をどんどん使っていった。でも、何にも結果が出ることはなかった。
くだらない心理療法や医者にお金をどれだけ浪費しただろう。
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外科医神経症闘症記録 克服への体験記 その3

症状をありのまま、カウンセラーや精神科医にうちあけられない心苦しさ苦痛だった。効果がないこととあいまって、通うこと自体も。
あたりまえのことだ。
すべてを打ち明けて、はじめて治療のスタートラインにたてるのに、秘密をずっと抑圧し続けていたのだ(だからこそ、症状と決別した今、反動でブログに打ち明けているのかもしれない)。
心療機関に通っている間、私の神経の集中先が、腕だけでなく頭の内部にもとらわれるようになった(それで腕への神経の集中がなくなれば、どんなによかったか! でも現実はセットだった)
頭のどこかにいつも神経が向いているのだ。
神経がいかれているんじゃないかと疑った。
手術ではずすことが出来ればと夢物語を願った。
こんなものじゃ、とても集中して手術が出来ない。
完全に手術恐怖症になった。
それでも必死で慎重に進めていき、ぎりぎり失敗はなかった。
いつかやばいことになるかも、なったらおしまいだと不安がいっぱいだった。
汗の量もやばかった。
失敗したら、自殺するしかないとまで思っていた。
鬱病が出てきたと思う。あのまま進んでいたら、完全に陥っていたと思う。
仕事を辞めたとしても、私は医者になること以外考えてこなかった。
今更何が出来るのだろう? 未来に希望がないことは苦しい。

患者の方は、私の心理的内面はわからないし、私たち医者に安心して任せきっている。
特に外科手術は患者はまったくの受け身だ。
よもや失敗など考えていない。
しかも初歩的な簡単なミスなどあり得ない話だろう。
手が震えて失敗したなんて知られたら、私の人格、積み重ねてきたことすべてを否定されるだろう。
そして私の本当はこんな体たらくじゃないはずというプライドも許さなかった。
でも、 私が失敗しかねないのは、初歩的なミスだった。
同僚にも看護師にも患者さんにも秘密を悟られるのが怖かった。
もし内面の惨状を悟られたら破滅しかなかった。
恥ずかしいことに手が震える。
誰も手をふるえている人なんかいない。
ましてや外科医がそうなるなんてありえない話だ。
外科医とあるまじき性質を私は持ってしまったのだ。
それを必死で隠していた。
でも、張りつめた緊張感に心がクタクタになってしまった。
発狂してしまうんではないかと言うくらい、心が追いつめられていった。
いつもため息で、心が重く苦しくなっていた。

心療内科で薬を処方してもらい、どうにか抑えることが出来た一方で、だるくなったり、頭がぼやけたりして、手の震えよりも、そちらの方が危ないと悟った。
薬を飲めばすべてが解決するという甘ったれた希望的観測を持っていたため、ショックが強かった。
医者は簡単に薬を出すと言うが、こちらが患者になってみるとそのとおりだった。
心のふれあいがなかった。
実はあまり心の触れ合いをしたくなくて、外科医を選んだこともあった。
でも、患者としての私は、心をしっかり強く支えてくれる医者やカウンセラーを求めていた。
だから催眠療法をやったり、森田療法の「あるがまま」の理論にあこがれを持ち実践しようとしたが、心のほつれはそう簡単に繕えるものではなかった。
弱点を知られないように知られないように外面だけあわせて、なんとかしのいでいたが、まったく一時しのぎの対策しかとれていなかった。
一時しのぎの代償は、さらなる悪化としわ寄せが来るというが、一時しのぎしかできない状況だった。
泥沼だった。違和感を感じ続けて生きていた。

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外科医神経症闘症記 克服への体験記 その2

「俺ってあがり症だな」つくづく感じた。
手術中の私の意識の集中どころは、当然患部ということでなければならない。
けれど、自分の手と腕ばかりに神経が集中した。
きつくてたまらなかったし、イライラしたし、気になったら最後、意識をそこからはずすことが出来なかった。
腕以外のところに意識を向けようと必死になっていると、怖いことに注意力散漫になり、手術で大きなミスをしてしまうところだった。
無理矢理望むとおりのところに意識が向けることは出来なかった。
集中しろ、落ち着けと念じたら、逆に注意力が散漫し、緊張と焦りが高まった
森田療法で教わった「あるがまま」も出来なかったし、自然体というものがどういうことかさえも思い出せなくなった。
落ち着いているってどういうことだろう? あるがままって何だ?
あるところに意識を向けるという意識が、意識を向けちゃいけない部分(指先、手、腕)への集中をさらに強化した。
手術の腕は落ちに落ちた。
スピード、手際の良さ、また判断能力が壊滅的だった。
本当の自分の腕はこんなんじゃないというプライドは高まったが、同時に自信喪失が深まった。
昔は何も考えず、手術のことだけに集中していただけにショックだった。
過去に出来たことができなくなることの苦悩は計り知れない。
しかも私はどんどん上達していかなければならない年齢だったのに。
他の医者が自信と経験と熟練度を上げていくというのに、私と来たら自信をなくすだけだった。
心がふさぎ込んだ。いらだったりもした
楽しい思いもこのころからできなくなってしまった。
すべてがつまらない。やる気が出ない。
楽しいことが別にあっても、いつも手術のこと、手の震えのことが気になり、そちらに楽しい気持ちもひっぱられ、すべてが味気ないものになっていった。
つまらない人生に陥った。
これがなければ、俺はなんてすばらしい人生だったろうと、ジメジメと思いとらわれていた。
これさえなければ、誰よりもいい人生なのに!
これがあるばっかりに!
まだあがり症だけの方が良かった。
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外科医神経症闘症記録 克服への体験記

私の神経症の症状は、自律神経失調症・心身症・強迫観念・不安神経症・あがり症と言ったものだった。具体的に言うと、手術時の手の震えと心臓のどきどき感の暴走がもっともつらいものだった。緊張しやすく、それが体に反応してしまう。昔からあがり症で生きづらい感じもしていた。
まさしく一歩間違えれば手術も大失敗に終わる可能性があっただけに、余計プレッシャーがあった。いつも怯えていた。だからその悩み以外に意識を向けることはどうしてもできなくなっていった。いかに底を乗り切るか、どうしたら乗り切れるのか、乗り切れなかったらどうしよう、人から変に思われたらどうしよう、もう思われているかも、とくだらない考えにとりつかれていた。くだらないけれど、自分にとっては大問題だった。くだらないと自分でも思っているから自己嫌悪にもなったし、人に相談できなかった。

最初の段階では、手が「万が一震えたらどうしよう」だった。
そのときは不安と恐れだけだった。
だけど、ずっと長い間、その強迫観念に駆られ続けていた。ちょっと違うな、効率が悪いなと思っていた。
息苦しさとどこか心に靄がかかった感じ、すっきり自分を出せないもどかしさがあった。
次第に手術の時に限って手が微かにふるえ始めた。
具体的な症状として出たのはそれだった。
気のせいにしたかったが、やっぱり気のせいではなかった。
それ以前に、気のせいであって欲しいと思い続け、余計意識と神経が手と腕に集中してしまった。
悩む人がなってしまう悪循環に私も例外なくはまっていた。
ずっとそればっかりに振り回され続けてしまった。
それでも慎重にやっていた結果、特に問題もなかったが、手術が終わった後は、信じられないくらい手が疲れた。汗の量は半端じゃなかった。
心も疲労した。心の耐性もどんどんすり減ってしまった。
腕と手が常にはり続けた感じになった。
狂って叫びたいくらい、イライラしはじめた。
あがり症で学生時代から悩んだが、無事医者になれた。
コミュニケーションも人並みにどうにか取り繕っていた。
だけどどこか自分を守ってきた半生だった。
あがり症が、結果的に手の震えにすり替わった、特化してしまったのだと思う

次第に、心理的なもので手が震えるとわかり、精神科と心療内科に相談しに行った。
のちのち催眠療法と、「あるがまま」を実践しようと森田療法にも通った。
どこにも私が手術をする外科医だと言わなかった。
どうして言えようか。信用問題に関わる。
現役の手術を行う医者が手が震えるなんて、カウンセラーや精神科にさえも知られたら恥だと思った。
これも自分を守っている、恥をかきたくない、プライドが高いと関係が大いにあるだろう。
そんなことだから、勤めている病院にも私の心の問題がばれたらお終いだと思った。
誰にも私の秘密を知られないうちに解決しようと、心を扱う機関に相談しに行ったが、どれも私の問題を解決できなかった。私も治してもらうという気持ちでいたのがいけなかったのかもしれない。
守りと逃避の姿勢では神経症、あがり症、手の震えは解決できない。
攻めの姿勢しかなかったが、そのときは知りようもないし、誰も教えてくれなかった。
精神科医など役立たずもいいとこで、何のアドバイスもせずに、薬を出すだけに終始した。
医者とはそういうものだと私もよく知っているが、心を扱うだけにもっとやってほしい不満が強かった。
一応、精神科医らには医療機器を製作する人間で、手が震えると困ると言っていた。
秘密を抱えたまま、はやく治りたかったが、それも夢に過ぎなかった。
私を強く支えてくれるセラピストもカウンセラーもおらず、私自身もただ逃れたい一心でいたたま、良くなるにはどうしたらいいか、何をしたらいいか、どんな気持ちでいれば良いか、わからないまま時間を浪費していった

テーマ:心と身体 - ジャンル:心と身体

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Author:blackjack7777
外科医の私が手の震え・自律神経失調症・あがり症・強迫観念と心身症・不安神経症、不眠症に陥ったときの記録と神経症から脱出するためのヒントがのっています。
 もともと手が震えることからはじまって、どんどん症状的に上のような状況になっていきました。人って気をくよくよと病み始めると際限なく悪化していくものです。
 私のかけがえのない先生に最大限感謝の気持ちを捧げます。あなただけでした、私を神経症から解放してくれたのは。私自身も頑張れたと思います。頑張れたのはやっぱり先生の力でしたが。にほんブログ村 病気ブログ 医療・医者へ
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